2015年9月3日木曜日

[私事] 博士課程で留学してみる (ある地球科学系院生の事例)


要約

博士課程を海外でやってみるというのも、多分いい選択ですよ (完)

良い点: 行ってしまえば色々と楽。無事奨学金が取れれば、経済的にも恵まれる。
悪い点: 勇気と自信がたくさん必要。良い受け入れ先に巡りあう運も必要。

記事の背景

博士課程の1年で九大を退学し、今年の7月から、オーストラリア・タスマニア大の博士課程に入りました。
あまり(近い世代の)身の回りに海外の大学院を出た人が居なかったので、一つの事例として書き連ねておきます。少しでも誰かの参考になれば幸いです。
留学する人の数は分野によって大分差がある気がしますが、固体地球科学系はあまり多くない方ではないでしょうか。でも実際にやってみて、(少なくとも今のところは)良かったと思っています。

画像はイメージです.jpg


経緯概略

大学に入った時点から、基本的に何かしらの研究職志望でした。なので就活には殆ど手を出していません。あと、以下の記述は少し端折ったりぼかしたりしてあります。

2010
↓夏頃: 研究室の仮配属スタート(学部3年後期)
2012
↓4月: 同じ研究室のまま大学院に進学 (学部 → 修士課程)
↓ ... 幸い学部で学会発表経験(とポスター賞)があったからか、修士の2年間は学生支援機構の一種(無利子ローン)を貰うことができました。
2013
↓春頃: 博士課程の行き先について悩み始める。
↓ 国内他大学のラボにコンタクトを採り、それに即した内容で学振DC1を提出する。
↓秋頃: 学振(DC1)に落ちる。先にコンタクトを取ったラボとの話も破談にする。
↓ ... 今振り返ると、この頃は初めての査読付き論文のやりとりもあり、大分精神がまいっていたのだと思います。色々と非合理的な事をやっては、各方面に迷惑をかけていました。
2014
↓2月: 学生支援機構1種の返還免除申請を行う
↓ ...査読付き論文があったからか後に採択され、有難いことに返還全額免除になりました。
↓4月: そのまま同じ研究室で進学 (修士 → 博士課程)
↓5月: それまでの研究の延長上のプランで学振(DC2)を提出する
↓5月: 分野が近いある研究者から、知り合いが博士課程院生を探している旨持ちかけられる。
↓11月: 留学先の奨学金の為の応募書類を提出。前後して学振の二次面接通知が届く
↓12月: 留学先から奨学金の採択通知が届く
2015
↓1月: 学振(DC2)の落選通知が届く
↓3月: 博士課程1年の終わりで退学。実家に戻る
この間、長期調査・TOEFL問題などが発生(後述)
↓7月: 渡航。オーストラリア・タスマニア大の博士課程に入学

留学したきっかけ

内在的な要素としては、1. 研究の行き詰まり と、2. 同じ研究室で学部から博士まで出ることに対する抵抗感でした。1.は指導教員との微妙な距離感、2.は研究者としてやっていく上での将来性に関する強い不安、を投げかけていました。また親が海外の大学院を出ていたので、留学は選択肢として頭のなかに持ってはいましたが、何かアクションを起こすところまではいきませんでした。

 外因は、博士1年の春に、分野の近い研究者(実は学会で1-2度話しただけなのですが)から突然メールで話を持ちかけられたことです。幸い共通の知り合いが当時所属していた研究室に居て、またその人の研究に関してもある程度承知していたので、割りとすんなりと信頼することにして事を進めました。

奨学金の重要性

海外に長期留学する上で、奨学金は重要です。特にオーストラリアのような物価の高い国では日本以上に生活にお金がかかる上、奨学金には多くの場合、学費の免除が含まれています。少なくともオーストラリアの大学の場合、免除されなければ、外国人向けのより高い学費を払うことになってしまいます。

 オーストラリアの奨学金としてよく知られているのはAU政府のエンデバー奨学金ですが、これには日程的に間に合いませんでした。実際に申請して採択されたのは、学内の奨学金です。月額にして凡そ二十数万円ほど頂いていて、学振DC1/2より若干多いぐらいです。また僕の場合、自身の研究は国際プロジェクトに含まれるので研究関連の支出は全てアメリカNSFのグラントから出すことができ、持ち出しがゼロ(地質の人なら!となるはず)で経済的にはかなり楽になりました。

コンタクトと根回し

まず紹介してくれた方から教えてもらったアドレスにメールを送りました…が1ヶ月ぐらい返事を貰えなくて面食らいました。休暇に出かけていたようで、そのまま忘れられてしまったようです。こわごわ「以前のメール届きましたか」とメールを送って、やり取りが始まりました。何回かSkypeでの会話もしたのが現代風だと思います。

 微妙な距離感があったこともあり、ある程度話が進むまで当時の指導教員には説明をしていませんでした。後述の奨学金の申請準備を進める段階に入って、最終的に話を持ちかけた所、以外なほどあっさりとOKを貰うことが出来ました。この事にはとても感謝しています。

奨学金の申請

学内の奨学金とは言え競争プロセスなので、それなりの説得力のある申請内容が必要でした。ただし分量は学振DC1には遠く及ばず、また研究計画に関しては、既に立ち上がっている研究プロジェクトの一部を担うという特性上、それ程難しくありませんでした。受け入れ先の教員をメールで質問攻めにし、かなり助けてもらいながら一通り用意しました。事務的な内容と研究計画を含んだ「申請書」以外に必要とされたのは、以下の内容です。

CV (Curriculum Vitae; 履歴書)
 名前・連絡先・学歴・業績・経歴などをコンパクトにまとめた、英語圏で一般的な汎用書類です。申請書には自身の能力を誇示できる欄があまり無かったため、国内の学会発表や、ポスター賞、果ては地質学会のフォトコンテストの入選歴まで含めました(普通のCVとしては過剰だと思いますが、書かないことは向こうは知りようがないので…)。
 実際に行われた審査のプロセスは分かりませんが、おそらくここでもPublication欄に載せられる査読付き論文を一応持っていた点は、人材としての説得力が極めて大きかったのではないかと想像しています。

Referee report (評価書)
 指導教員を含めた2名から貰う必要がありました。内容は学振で必要とされるものに近いですが、勿論英語です。教員の英語力が試されると思うので、立場によってはハードルが高いという人も居るかもしれません。

TOEFL-iBTスコア
 学科により異なりますが、92点以上、Reading, Listening, Speaking, Writingの4種目がそれぞれ20点以上、というかなり高い要件が課されていました。僕自身はReadingは得意、ListeningもそれなりなのでTOEICでは困る事はなかったのですが、TOEFL独特のSpeakingには大苦戦することになりました。
 入学までにクリアすることと定められていたので、奨学金の申請時点では要件に達することが出来ていませんでした。その後最終的に、1回受験に2万円以上かかるものを5回以上受ける大損害を被り、かつ渡航が予定よりずれ込むという結果になりました。
 もしもう1度トライするならば、TOEFLに特化した語学学校の対策コースに通うと思います。留学してしまえば英語を上達させる時間は十分にあるので、何とももどかしいところです。

その他
 大学の卒業証書と成績証明をスキャンして送る必要がありました。特に学部時代の成績が、大量に受講登録する割に不真面目だったので凄まじいものだった筈なのですが、幸い咎められる事はありませんでした。
 英語の証明書を求められるため、大学事務での発行に数週間かかりました。また欧米の大学文化だとcourse workとresearchが単位として厳密に分けられているのですが、日本の大学の成績証明にはそのような区別はありません。その為「特別研究」の単位をresearchとして定義し、10 units out of 50のような記載・説明をする必要がありました。

奨学金の採択から入学まで

10月末に正式に奨学金の申請を行いました。その直後に学振DC2の二次面接の通知が届き、迷いながらも12月初頭にそちらも保険として受けに行きました。既に自分の中で本命でなくなっていた研究プランを仮面を被ってプレゼンするのは中々大変でしたが、良い経験になりました。その後、奨学金の採択通知が届いたのは12月末でした。

 翌年3月に退学届を出して大学とアパートを引き払い、実家に戻りました。3月末から4月までは、この新しい研究のための共同調査があり、そこで初めて受け入れ側の指導教員たちと顔を合わせることになりました。顔を直接1度も合わせずにこの段階まで来るというのが、中々21世紀的だと思います。

 当初の予定では調査から帰って5月に渡航する予定でした。しかし前述のとおりTOEFLに苦戦して6月になり、加えてオーストラリアの学生VISA発行と健康診断に2週間以上かかって、7月になってしまいました。

留学してみて

学生もスタッフも5時前に人っ子一人居なくなる
 たまげました。素晴らしいことだと思います。(モウニホンニハカエレナイカモ)

学科で巨大な勢力を誇る地質
 博士課程が40人ほど居て、ほぼ全員が地質、それも資源地質です。
 彼らは資源メジャーがスポンサーに名を連ねるseg.orgからの奨学金を得ていて、人によって異なりますが月30万円程度貰っているようです。日本の地質系博士課程の院生で、同等レベルの収入を得ている人は多分一人も居ないのではないでしょうか。更に彼らは卒業後、(ここ最近冷え込み気味とはいえ)資源系企業に就職していきます。(日本の地質にはこれでは勝ち目は...)

プロジェクトとしての研究
 薄片は発注するものです。繰り返しますが、薄片は…(血を吐く)
 分析もどんどん発注します。設備その物が大学にはおまけ程度しかありません。
 ただ無闇に手を動かすのではなく、研究を一つのマネジメントすべきプロジェクトとして捉え、とにかく計画的に、一つ一つ確実に目標を潰していく、というのが文化なのだと思います。

勇気と自信と、あとちょっぴり運と
 やはり自分の英語力の限界で、スタッフや他の学生とのコミュニケーションにつまるシーンが沢山あります。でもそれ程悲観的に捉えてはいません。自分には自分にしか出来ない仕事があるので(自信大事!)。
 こちらの受け入れ側の指導教員も、とても親切にしてくれるので正解だったと思っています。でもこの辺は、きっと留学においては運なのでしょう。 \\(•̀ᴗ•́)و ̑̑Good luck!//
 
孤独
 幸か不幸か、このインターネット全盛の時代、未だに暮らしの中で読んでいる文字の50%ぐらいはおそらく日本語です。うち49%がTwitter (果たしてこれで英語が上達するのか…)
 またSkypeやHangoutを使えば無料で通話が幾らでも可能です。高額な国際電話や郵便に頼っていた時代がたった20年前にあるとは信じられないです。なんとも楽な時代ですね。


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